広島カープの侍、前田智徳という男

努力の天才バッター 前田智徳

こんばんは、お酒のタニーズ 専務の中川です。

今日は僕が大ファンである広島東洋カープ。その中でも僕が大好きだった選手の前田智徳について書いてみようと思います。ただ、僕より詳しい方が沢山いられると思いますので、激しいツッコミは勘弁してね(笑)

前田智徳 名門熊本工業高校出身 1989年ドラフト4位で入団。この1989年はドラフトの大当たりの年。近鉄の野茂、石井、ヤクルトの西村、古田、西武の潮崎、大洋の佐々木、中日の与田、阪神の葛西、新庄、ロッテの小宮山、広島の佐々岡など後に球界を代表する選手をたくさん出した年でもあります。

熊本の前田はもちろん福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)の入団を熱望。しかし、指名されることはなかった。その時の福岡ダイエーの1位指名は上宮高校の元木。当時、甲子園のヒーローでダイエーを入団拒否して1年後に巨人に入団した。のちにクセモノ元木として活躍する選手です。

 

前田は入団同期で高卒入団の浅井(富山商業)は北陸の最強打者と言われて入団。前田の打撃練習を見て「自分より凄い選手を初めて見た」と述べている。

他にも2人の天才から天才と言われた男でもある。あの落合博満とイチローである。その質問を当時、レポーターが前田を取材した時に言ったのだが、その返した言葉が「天才なら4割打ってますよ」と答えたのを覚えてます。かっこよすぎです。そのイチローは初のオールスター戦で1番最初に前田に挨拶に行ったのもこれまた伝説。

その他にも松井秀喜には日本で一番いいバッターと尊敬され、ヤクルトのスコアラーは前田は外国人選手扱いとまで言われたなど凄い逸話が残っている。

現役時代、前田は無口で少し近寄りづらい感じの選手でもあった。そんな前田が短い言葉で発する言葉や実行力は当時とても憧れました。
それに前田智徳がいたことで、今、メジャーリーグで活躍する前田健太はマエケンと呼ばれるようになったと僕は思ってる方です。

走攻守揃った前田。当時のクリーンナップは、前田、江藤、金本。トップバッターは緒方。2番に野村ってどんな打線や!って思うくらい強力な打線。この時代に優勝できなかったのは今でも悔やまれるくらいです。それにアキレス腱断裂という大きな怪我もして、復帰はしたものの自分に満足のいくプレーはなかなかできなかったのではないかと思います。

 

今日はそんな前田智徳選手の名シーンを第一弾としてお伝えしたいと思います。第2弾があるのかは知りませんが(笑)僕の中男気を感じた試合で前田を語るならこの試合は絶対に外せない試合です。

 

短く編集してくれてるので、ぜひご覧下さい!!

解説の達川が少し面白おかしく言ってますが、当時もこの試合をテレビで見ていて鳥肌がたったのを覚えてます。

もちろん、外野を守っていて後ろに後逸することはダメです。ただ、この試合も緊迫していた投手戦。北別府に勝ち星をつけたい、そして川合を出塁させてクリーンナップを迎えたくない一心が前へ前進させてたのだと思っています。それに前田は俊足強肩で守備範囲もかなり広かった。打球を追いかける一歩目が速い選手だけに逆にアダとなったプレーかと思います。

この日はインタビューも受けず、他の選手とも喋らずロッカールームもバスの中もバスタオルをかぶっていた前田。のちに語ったのが3打席目のツーアウト2塁で凡退(外野フライ)で決めれなかった自分に腹が立ち「最後にホームランを打ったところでミスは消えない。あの日、自分は負けたんです。」とまで語っています。ほんまにめちゃストイックな選手でした。

 

 

まだまだ、前田列伝はありますが、今日は僕の心に残っている名シーンの1つをお伝えしました。また名場面もブログにできたらと思います。

 

今日は以上です。ではまたまたーーー。

 

 

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プロフィール

中川 浩行
中川 浩行
香川県観音寺市の酒屋「タニーズ」の専務 中川です。「その先の笑顔の為に」を理念に飲食店さんを全力サポート!もちろん一般小売・全国発送もしています。広島カープ、ゴルフ、お酒を飲むことが好き。そして何より仕事も趣味も仲間とワイワイ楽しむのが1番好きです!ビアテイスター、ビール検定2級